【LEGO】芸大生が創作モチベーションを上げるためにやっていること|承認欲求との向き合い方

こんにちは、Keiです。「もっとたくさん作品制作したいけど、今はモチベーションが上がらない(スランプで困っている)」という人に向けた記事です。レゴの新作で悩んでいる人は是非最後まで読んでみてください。

最初に言ってしまうと、モチベーションをずっと高い状態で維持しようなんて人間には不可能です。それは我々が気分によって浮き沈みのある人間だからです。頑張ってモチベーションを上げようとするほど、いつかは凹んで燃え尽きてしまいますよね。

ぼくはデザインの仕事をしていて、毎月20品前後を発売させています(ディレクションだけしているものを含めたら100を超えます)。半年という短い開発期間で発売されたアイテムもあれば、数年がかりの大規模プロジェクトも存在します。ずっとアウトプット行為ばかりでは当然アイデアも尽きますし、長期戦ほどモチベーションも下がっていきます。

きっと一流の芸術家もわれわれと同じように、気分が乗る日もあれば乗らない日もあるはずです。それならばいっそ「モチベーションは無理して上げない」という考え方に意識を変えてみましょう。どんなコンディションでも行動できるように心がけることが長く活動する上では一番なのかもしれません。

じゃあ「一体何を心がけるのか?」です。これが今回の記事の内容です。

レゴ創作活動のための準備は怠るな

その心がけとは、身近なものを観察することです。これはモチベーションと関係なくできることです。

ぼくはこれを受験生のとき「基礎デッサン」から学びました。観察すればするほど好奇心を引き出します。そしてこの好奇心がさらなる観察力を促し、それが次第に問う力、つまり「なんだろう?」へと昇華します。そうして自分の中から問題提起がなされ、アイデアのインプットに繋がっていくのです。

クリエイターが特にやることもなく暇を持て余してるっていうのは、そもそもアイデアがない状態だと考えてください。これがモチベーションを下げている原因の一つだからです。作品を生み出すための燃料とも言えるべき、外部からのインプット(観察力)が足りないから下がっているのです。インプットがなければアイデアも生まれないですよね。

科学者・エンジニア・建築デザイナーとしても活躍した、右脳と左脳をフル回転させてさまざまな創造をしたルネサンス時代の巨人レオナルド・ダ・ヴィンチも、常に腰からノートをぶら下げて、目に留まったものを片っ端からスケッチしていました。客観的な史料からも彼が好奇心の塊であったことは紛れもない事実であり、この好奇心によって『モナ・リザ』や『最後の晩餐』が生まれ、数々の建築物の設計や発明品へとつながっていったのです。

よく「歳をとるほど月日があっという間に感じる」と一般的に言われています。

子供の頃が毎日楽しかったのは、情報として入ってくるものがどれも新しくて刺激になったからでしょう。それが大人になる程、物事を分かったつもりになってしまいます。刺激がなければ日々をなんとなく過ごしてしまうので、そのうち呆けてきます。逆に観察することを忘れなければ、レゴをはじめとした創作活動というものは脳に良い刺激を与え、生活を豊かなものに変えてくれるはずです。

あなたが創作活動をすると決めたなら、インプット(観察力)のために脳みそを整理して容量は常に空けておきましょう。入ってきた情報はメモを取れば忘れることができます。また並行してPCのデスクトップや散らかった部屋を掃除することも大切です。脳みそは周辺環境に大きく左右されるのです。

先生から「才能とは、やりたいことをできる環境に自分を置くことをいう」と言われたことがあります。

まずは「環境をコントロールする能力」を手に入れることが必要不可欠です。人間が最も影響を受けるのは、その人自身が置かれているその環境です。周りの人間関係や住んでいる場所、普段浴びている情報こそがその人間の質を色濃く決定づけています。欲しい結果を手に入れるために本当にその環境がベストか考える必要があります。

芸術家たちは常に作品が変化しています。たとえばピカソがわかりやすい例でしょう。青の時代から始まり、キュビズムの時代、シュールレアリズムの時代など、作品が目まぐるしく変化しています。“やりたいことをできる環境に自分を置くこと”とは、まさに変化し、進化し続けることの根源でもあるのです。

そうして日常から集めたたくさんのアイデアの種に囲まれ、それを同時に深化させていくと、作品の設計図のようなものが自然とできあがってきます。

観察力とはコンセプトワーク、つまり作品の世界観の構築、そうした入念な下準備のために必要なものです。

その準備を怠り、創作意欲やモチベーションという言葉に置き換えて、それさえ取り戻せば良い作品が作れるんだというのは、あまりにも実力を過信しすぎです。もしも「自分は常にアイデアが泉のごとく湧き出していて、作品なんて簡単にできる万能人間だ」と信じているのなら、ずっと以前から持っている古びたアイデアで作品をこねくり回しているだけかもしれません。

いつも結果ばかりを追い求めていてつい忘れがちなのは、この徹底したコンセプトワークです。

そして忘れてならないこととして、モチベーションに一番大切なのは健康的な身体です。睡眠・食事・運動です。

言われなくても!というくらい当たり前のことすぎて、大勢の人が見落としています。どうしても絵画などのインドア系の物事に集中すると、運動不足になってしまいますよね。(そんな自分も…w)

有名なモチベーション理論の一つ「マズローの欲求5段階説」を知っていますか?
人間の欲求は5段階のピラミッドのように構成されていて、低階層の欲求が満たされると、より高次の階層の欲求を欲するとされるものです。

第一階層は、食べたい、飲みたい、寝たいといった「生理的欲求」
第二階層は、安全な居場所や健康といった「安全欲求」
第三階層は、組織やコミュニティに属したり、仲間が欲しいといった「社会的欲求(帰属欲求)」
第四階層は、他者から認められたい、尊敬されたいといった「尊厳欲求(承認欲求)」
第五階層は、自分の能力を引き出したい、高めたい、何かを創造したいといった「自己実現欲求」

この第三階層までが、外的に充たされたいという“低次欲求”であり、第四、第五階層は内的に充たされたいという“高次欲求”にあたります。

やはり気力が満タンにならないと、やる気にはならないものです。脳みそだけパンパンにインプットしていても体力がないと何も始まりません。

毎日一駅分歩くなど、創作活動をしていない時は少しでもアウトドアな生活を意識したいですね。

創作活動=楽しいを忘れないようにしよう

そもそも今のあなたはモチベーションが低いのか、やりたくない(ストレス)のかどちらですか?

創作活動を続ける人は基本的に「クリエイティブが好きな人」だと思います。嫌いな事では続けられないので、好きな作品を何度も観ることも有効です。魅力の原因を探れるので自分の創作の勉強にもなります。

あなたもきっとそうだと思いますが、ほとんどのアーティストは自分より高い理想があって、自分の実力に心から納得していないものです。

アーティストは普通の人です。理想があるから追い求めた延長線上に創作活動があり、これを表現したいという自分の中の炎が灯ります

創作活動というのはガンガン進んだ時は楽しいし、産みだせずに苦しむことだってあります。時には全然成長できないことに絶望して自暴自棄になってしまうスランプ期だって訪れます。こうした実力への失望は、“過度に期待してしまっていること” と、”実力を客観視できていないこと” が主な原因です。成長に悩んだときはレゴオフに参加することをオススメします。展示会で自分の作品を台に飾ったら、離れて他の作品と一緒に眺めてみてください。そこで自身のレベルを見つめ、現在地  理想 を客観視できれば、漠然とした実力不足に失望することもなくなります。

レゴオフに参加するもう一つのメリットは、人と会いおしゃべりができることです。人からの意見はとても貴重で、新しい視点を持つことができます。

積極的にコミュニケーションを取るよう心がけてみてください。

始めた頃の意欲には戻れない

アイデアが出来上がったときは、「あーしたい!こんなことをやりたい!」とやる気満々になります。

しかし、やがて時間が経てば熱意はだんだんと収まってきます。「構想中はあんなにモチベが高かったのに、いざやろうと思ったら何かやる気無くなっちゃうな…」はまさにこれです。

『一番楽しかったあの頃にちょっとでも近づきたい』という感覚でレゴをやっている人も少なからずいるかもしれません。しかしぼくは『大人になったから見える楽しさ』というものだってあると思います。

そこであまり無理して当初の楽しさを”取り戻す”のではなく、今の年齢になったから見えてきた楽しさを”加えていく”工夫をすることで、結果『創作を始めたあの頃』に近づけるはずです。見方を変えて、別の捉え方をしていきましょう。

レゴで遊ぶ時や、作品を作る時は思いっきり部屋を散らかすこともお勧めします。

増え続けるレゴ、子供に片付けてもらうには」の記事でも述べている内容ですが、作業中は自分の気持ちが盛り上がる空間作りをしましょう。お祭りと同じで、賑やかな空間の方が熱量も上がったりします。レゴで遊ぶ時はインプットの時と真逆で、思い切り解放した方がいいのです。

承認欲求は大切なもの

最後に、創作活動と密接な関わりがある承認欲求の話をしましょう。

簡単にいうと承認欲求とは他者から「自分を認めてもらいたい」という感情です。

児童養護施設に行くとはっきりと感じますが、幼少期に承認を得られなかった人は子供の頃から承認を得てきた人に比べてこの欲求を強く出す傾向があります。さらに最近は特に若い人のSNS投稿で強く見られます。これは果たして良くないことなのでしょうか。ぼくは一概にそうは思いません。もし「承認欲求はない」と答える人がいたら、その人は相当な見栄っ張りか嘘つきのどちらかです。日本では大人たちを中心に「承認欲求が強いのは醜い」という悪いイメージが根強いですが、承認欲求は現代人にとってごく自然な欲求であり、人を突き動かす大きな原動力になる上にうまくコントロールできれば大きな武器となります。

200万部を記録した書籍『嫌われる勇気』で、その中にアドラー心理学が紹介されています。アドラー心理学では「自分に自信を持つための承認欲求は不要」と定義されています。

しかし、ここには完全な盲点があります。それはアドラー自身が生きた時代は1800年代であり、私たちの現代を取り巻く環境は、当時とは大きく変わっているという点です。彼の説いた心理学には、当然のことながらSNSという現代人にとって切っても切れない要素が考察されていないのです。

SNSと生活が渾然一体となった社会で、私たちはそのための承認欲求から逃げることはできません。では、現代のSNS社会において、どのようにこの承認欲求と向き合っていけばいいのでしょうか。

1番簡単なのは自己肯定感をあげる、つまり自分を認めてあげるということです。

自分の承認欲求を無視したり抑えつけたり、闇雲な方法で満たそうとすれば、いずれ承認欲求そのものに支配されていきます。

だからこそ自分の中に湧き出た承認欲求を素直に認め、向き合うことが必要なのです。

「いいね」の数を過剰に意識していませんか。

この感情をコントロールするためにできることは、SNSなどで周りから承認を受けた際の自分を意識的に客観視することにあります。自分の投稿になぜ「いいね」が押されたのか、それを見て自分自身がどんな気持ちになったのかを冷静に分析するのです。もしそういった客観性と冷静さを欠いてしまうと、フォロワー数やいいね数にただ取り憑かれ、承認欲求ばかりに依存した人間になってしまいます。

そうならないために、他人の評価ではなく自分の中の心と対話して、飼い慣らしていくスキルが現代人には求められているのです。

まとめ

いかがでしたか。

皆さんは最近、時間を忘れて何かに没頭したことがあるでしょうか?

レゴを趣味にお持ちの方は、あるに違いありません。ほかにも読書が趣味の方は本を読んでいて気づいたら夜が更けてしまっていたり、音楽鑑賞が趣味の方はコンサートやリサイタルに行くとあっという間に時がすぎた経験があると思います。

アーティストたちの中には、作品制作することを仕事と表現する人が少なくありません。

もちろん、作品を制作することは彼らにとっての仕事ですので当たり前のことですが、彼らはあくまで「自身の内的モチベーション」に基づいて作品制作を遂行します。時間に縛られることもありませんし、ましてや「働き方改革」の意識などもありません。一度スイッチが入って筆を握ると、寝食を忘れ、気づいたら朝になっていたこともよくあります。つまり、仕事において「熱狂的な没頭」を何度も繰り返しているのです。

これが情熱であり、どんな仕事にも共通することです。

アーティストはみな、「自分は、今までの人生でこんな素晴らしい世界を見てきました。他の皆さんにもその一端をお見せしたいです」という思いがどこかにあります。

だから売れようが売れまいが、あまり関係がないんです。自分の世界を表現したい欲求があるのです。もちろん人気や反響が多ければ嬉しいし、あわよくば名誉やお金も付いてきてくれれば嬉しいんですが、それだけじゃないんですよね。

これからも創作活動をがんばる人のためのサイトになれたら嬉しいです。

それではまた。